私が開院した理由

私が開院した理由

まさか治療家になるとは

私は小・中学校時代から体を動かすことが大好きで、幼い頃から町のスポーツ少年団?
みたいな所で、マット運動や ロープをよじ登ったりしていました。

勉強のほうはさっぱりで、これがほんとに出来が悪く、家で机に向かった記憶はありません。
私と同年代の方には分かると思いますが、玄関にカバンを放り投げて
すぐに外に遊びに出かけていました。

 

「手先の器用さ」が自慢

勉強が全くできない私でしたが、これだけは誰にも負けないというものがありました。
それは「手先の器用さ」。
学校では、図工や技術の成積はズバ抜けて良かったです。

高校生になり将来の事を考えるようになると、自分の「手先の器用さ」を活かして、
人に喜ばれる仕事をしたいと考えるようになり、
細かい作業も全く苦にならない私は、建築家として 家の図面を描き、理想の家の模型を作り、
人の夢をかなえてあげて喜んで頂きたい、と考えるようになりました。

 

建築家を目指した学生時代

手先は人一倍器用で、勉強がさっぱりな私でしたが、将来の目標に向けて猛勉強を開始し、
大学の建築学科に無事に合格することができました。

この頃から、スポーツトレーナーになんとなく興味を持ち始め、 独学でテーピングの勉強などもしていましたね。

卒業近くになると奇跡的に住宅メーカーに就職が決まり、
設計部に配属され社会人としての一歩を踏み出すこととなりました。

 

過酷なサラリーマン時代

その当時の建築業界は時間で仕事が終わる職場ではありません。
皆、毎日終電近くまで仕事をし、体の不調を訴える人も多い職場でした。

社会人として2年半が過ぎたころ、周りの同僚や、先輩たちが、体を壊して休職したり、
中には退職される方もいて、そのような光景を目の当たりにするうちに、
自分の手先の器用さを活かしてなんとかこのような方たちの手助けができないか、と考えるようになりました。

 

目指すは治療家

学生時代から、スポーツをするのも観るのも大好きな私はその頃から、
体の仕組みや、スポーツトレーナーの本なども興味がてらに読んでいました。

そんな中、新入社員時代から私をかわいがってくれて、厳しく指導して頂いていた先輩が、
日々の重責から体調を崩し、退職。働きざかりの年代でしたのに。

 

もう治療家にまっしぐらです

3年勤めた会社を退職し、治療家を目指す決意をし、実行に移しました。
少しだけ嫌な受験勉強をして、無事、柔道整復師の専門学校に合格。
27才の時でした。

柔道整復師の専門学校は3年間通い、国家試験を受験し、晴れて資格が与えられます。

元々興味があった私は専門学校時代からいくつかの整骨院で修行をし、
様々な治療のセミナーに参加し、もうこの業界では若くはない年齢でしたので、
貪欲に多種多様の知識、技術を詰め込んでいきました。

 

無事、資格取得、そして整骨院開院

卒業後、府中市の整骨院で1年間分院長を務めさせて頂き、
2004年5月、立川市にヒロ整骨院を開院。
駅から徒歩20分かかる立地でしたが、地域のみなさんがとてもやさしくしてくださり、
おかげ様でいつも地域の方で賑わいをみせる整骨院となることができました。

開院当初から、私の同じような境遇から治療家を目指す人を応援したい、
という思いから経験の浅い先生を研修の場として受け入れております。

仕事を頑張っている方のお役に立ちたい

 

治療家を目指すきっかけとなったのは前職での辛い経験からです。
私は周りの人の応援もあり治療家に転身することができましたが、
職場で辛い思いをされている方はたくさんいらっしゃると思います。

「健康に仕事が続けられるように応援したい」
このような想いが私には強くあります。


私の元で働いて勉強してくれていた先生が順調に経験を積み、
ヒロ整骨院を任せられるまでになってくれたのを機に、多摩地区の多くの方に
もっと私の施術で元気になって欲しいという思いから、
立川市の隣、日野市にヒロみなみ整骨院を開院。

今でも地域のみなさんを大切にし、「患者さまに求められる治療家」
を目指し、治療技術の向上を常に考え、日々勉強に励んでおります。

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